2024年度は482点の応募がありました。その中から厳正な選考を経て31点の入選作を選びました。
いずれの作品も危機的な地球環境にいかに立ち向かっていくべきか、
こどもたちの熱い思いが伝わってきました。
地域団体の作文コンテストを通して地域の子ど、大人や学校、企業が一つになる地域活性化を目指しております。
受賞作品
最優秀賞
氏名 | 作品名 | 所属 |
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守屋 凛乃 | いかなごのために | 倉敷市立西中2年 |
優秀賞
特別賞
氏名 | 作品名 | 所属 |
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川上 礼 | ぼくのすむまち、びせい | 井原市立美星小1年 |
木下 陽斗 | 生き物を守りたい | 倉敷市立船穂小5年 |
西田 真優 | 海洋汚染について | 井原市立井原中3年 |
小野 桜乃音 | 夏休みに感じたこと | 倉敷市立長尾小4年 |
谷井 佑晟 | 地球はみんなの宝物 | 井原市立西江原小3年 |
園田 大翔 | 大切な川を守るために僕たちにできること | 倉敷市立船穂中1年 |
持田 奈保 | 未来の私たちのために | 倉敷市立葦高小5年 |
藤間 美和 | 私達がトップにいる理由 | 井原市立井原中3年 |
陶山 叶来 | 高梁川流域サミットに参加して | 倉敷市立葦高小6年 |
入賞
TOP
最優秀賞
いかなごのために 倉敷市立西中2年 守屋 凛乃 |
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春、私の家ではちょっとした恒例行事がある。祖父からいかなごのくぎ煮が送られてくるのだ。「いかなごのくぎ煮」は瀬戸内海沿岸地域の郷土料理で、瀬戸内海で多く獲れるいかなごの稚魚を甘辛く煮た佃煮だ。この甘辛い味付けと山椒のピリッと感がたまらない、
私の大好きなご飯のお供だ。しかし、今年は送られてこなかった。祖父いわく「値段が高くて買えない」らしい。瀬戸内海のいかなごに何が起こっているのだろう。そう思い調べてみると衝撃の事実が分かった。
なんといかなごの漁獲量は年々減少しており、今年は大阪湾は禁漁、播磨灘は一日しか解禁されなかったそうだ。ここまでいかなごが少なくなった原因はいくつかある。
一番大きな原因は「海がきれいになりすぎた」ことだと考えられている。高度経済成長期の頃、瀬戸内海には植物プランクトンの餌となる窒素やリンを多く含む工場排水がそのまま流れ込んでいた。そのため、植物プランクトンが大量発生し、魚介類に被害を与える赤潮が発生した。そこで瀬戸内海の環境を守ろうと下水道の整備や排水基準の強化が行われた。だが、今は逆に窒素やリンが少なすぎてプランクトンが減り、それを食べるいかなごなどの魚から減ってきているのだ。
また、「いかなごの獲りすぎ」も原因の一つだと考えられている。いかなごはおおなごの稚魚だ。稚魚であるいかなごを獲りすぎると成魚のおおなごの数が減り、卵や新たに生まれてくるいかなごの数が減る。このような負のサイクルが続いているが、日本は漁獲が可能な量を定めて資源を守ることもしていないそうだ。
窒素やリンは多すぎると赤潮に、少なすぎると魚の餌が減る。いかなごは獲りすぎると減り、獲らないとくぎ煮のような伝統が廃れる。今まで、いかなごは海洋汚染でいなくなったのだろう、海を汚すのは悪いと簡単に考え、一括りにしていた。だが実際は、一つの問題にいくつもの原因が絡み合っていて、バランスが悪いと簡単に壊れてしまう。人が壊したものは人が責任を持ち、全ての原因が丁度良いバランスで解決できる所を探すことこそ、未来の環境のために私達がしなければならないことだと思う。
この問題のために何ができるか、今の私には分からない。でも、今の自然を犠牲にして成り立っている社会を続けてはいけない。なので、分からないなりに色々な原因や意見を知り、考え続けていこうと思う。そして、自分なりに行動していきたい。いかなごが増える、持続可能な社会になるその日まで、私は動いていく。 |
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優秀賞
ひとしずくの旅 倉敷市立西中1年 安藤 李沙 |
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ひとは、私を「水」と呼ぶ。
私は、旅するひとしずく。その旅のルートを紹介しよう。
私は今、地面の中にいる。まずは、地表への出口を見つけて、湧き出る。そしていつもの道を行く。その道は、最初は狭い。でも、だんだん広く、ゆるやかになる。きょうだいのしずくたちも集まって、その道を通ると、私たちは「川」と呼ばれる。
今日も、川には、たくさんの「仲間」がいる。カワセミにアユ、ウナギにアシ。ただの川でも、仲間がいれば、にぎやかで楽しい「河」になる。河をどんどん進むと、やがて広大な場所にたどり着き、そこから、私たちの名は「海」となる。
そこには、さらに多くの仲間がいる。クジラに海藻、マグロにイソギンチャク。ペンギン、ホッキョクグマ。南から北まで。小さな
ものから大きなものまで。仲間ののびのびした姿を見守っているうちに、私たちは太陽の光に暖められて、いつしか、私たちは空に浮かび、「雲」と呼ばれる。
私たちは風に運ばれながら、宇宙と呼ばれる世界を見上げる。不思議な世界だと思いながら。
やがて私たちは、空から地上に向かって落ちていく。再び、地面の中にもぐる。この旅を何度も、何度も、くり返す。
私の仲間、億千万もの生き物たちは、それぞれが一生懸命にこの時を生きている。だから、私も、その命を懸命に支えたいのだ。
仲間はいう。
「水ガナクテハ、イキテハイケナイ」と。
「水」と「生きとし生けるもの」は、共存している。
それは決して、きずつけたり、けがしたりすることがない関係、互いを尊重し合い、大切にし合う関係なのだ。 |
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優秀賞
ぼくの町の川 倉敷市立長尾小2年 小野 由喬 |
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ぼくが学校へ行く通学ろには、新川(しんかわ)という川があります。いつも「きたないな。」と、思っていました。なぜかと言うと、
川の水がにごっていたからです。しょくぶつプランクトンが、多く水にふくまれているからだとも、思います。
そこでぼくは、新川がどのくらいよごれているのか、水しつけんさキットでしらべてみました。やり方は、おうちの人といっしょに
新川に行って、バケツで川の水をすくいました。そして、その水を、くすりとまぜ、色のへんかを見ました。そのけっか、「ややよごれている」というけっかが出ました。
ぼくは、よごれがひどいと思っていましたが、ややよごれているくらいでびっくりしました。
その新川をちずで見てみると、たかはし川から、ぼくの通学ろを通り、玉しまこう(み
なと)へつながる水のたびでした。ぼくは、水のよごれがかわるのか、きになったので、上りゅうから下りゅうまでしらべに行くことにしました。
まず、上りゅうの一の口水門へ行きました。
ちかくにかんばんがあったので、よんでみると、三百五十年前につくられ、日本いさんににんてい(2017年)されたとかいていました。一の口水門のけんさけっかは、「ややきれい」というけっかが出ました。もともときれいなのに、よごれてしまったりゆうは、
じゅうたくがいを通り、人がゴミをポイすてするから、だんだんよごれていくんだと思います。
上りゅうから十キロメートルはなれた、下りゅうの玉しまこうにも行きました。けんさけっかは、通学ろとおなじ「ややよごれている」というけっかが出ました。このけっかから、しぜんに川の水がもとにはもどらないことがわかりました。
新川の上りゅうから下りゅうまでしらべてみて、ぼくは人が川をよごしていること、そしてそのよごれは人しかなおせないことが、わかりました。もしそのままにしておくと、川や海のいきものたちがしんでしまいますし、
ぼくたちがたべている魚たちもたべられなくなるかもしれません。
そのためにみんなができることは、「ゴミはゴミばこにかならずすてる」と「川におちる前にゴミをひろう」です。ぼくも、かならずゴミはゴミばこにすてますし、新川のちかくのみちや公えんにゴミがおちていたら、ゴミひろいをします。そんな思いをもったなかまを、ふやしていきたいです。 |
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優秀賞
もう二度と会えない君へ 倉敷市立菅生小4年 渡邉 奏介 |
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そうちゃん。
君は今年もいつもの場所で、ぼくが来るのを待ってくれていますか。
ぼくが友達と一緒に、君の周りを飛び回った時、君はすごくうれしそうに手を伸ばしてくれていたよね。
君は人間なのに、ぼくらホタルのことを本当の友達のようにせっしてくれて、ぼくは、そんな君のことが大好きだったんだ。
そしてぼくが君に「このままならきっと、ずっと一緒にいられるね」って言った時、君は「そんなの当たり前だよ」って笑ってくれたよね。
だからぼくは、これから先もずっと、君と一緒にいられる日が続くって、信じてうたがっていなかったんだ。
だけどそれは無理だったんだ。ぼくらの未来は君ら人間に全てうばわれてしまったんだ。
お父さんもお母さんも、友達も、みんなみんな、バラバラで生きるしかなくなって。
ぼくらのえさとなる生き物が死んで、食べる物がどんどんなくなって、生きることすらできなくて、みんなみんな死んじゃったんだ。
だから、君がいくらぼくを待ってくれていたとしても、ぼくはもう二度と、君に会うことすらできないんだ。
ねぇ人間は「自然を守りましょう」とか、「きれいな水を守るため、必要以上に洗剤を使わないようにしましょう」とかって、環境を守るために色々なことを言っているよね。
なのにどうして、いつも口先だけで行動にうつさないんだい。それは大人だけの責任なのかい。子どもの君は何も悪くないのかい。
ずっと君と一緒にいられるって思っていたのは、ぼくだけだったのかい。大好きな君だったはずなのに、君が人間ってだけで、ぼくは君のことを許せそうにないんだ。
それなのになぜかぼくは、もう一度だけでいいから、君に会いたいって思っちゃうんだ。
それに、去年生まれた、君の弟にも会ってみたいんだ。君の弟だもん。ぼくは君みたいな友達に絶対になれると思うんだ。
人間のことが許せないはずなのに、君や君の弟にだけは、会いたいって思っちゃうんだ。
こんな悲しい出来事がすべてゆめだったら良かったのにな。だけどゆめじゃなくて現実なんだ。いくら願ったとしても、二度と君に会うことはできないんだもん。時は止まってくれないし、もどすこともできない。
ぼくに、魔法は使えない。
ぼくの願いはね、ぼくらホタルみたいにみんな死んでしまう前に、君たち人間が口先だけじゃなくて、実際に行動にうつして、こんな悲しい気持ちになる生き物が二度と出ないように、環境を守ってくれることなんだ。
ぼくの最後の願いを、やさしい君ならきっとかなえてくれると、信じてるからね。
そうちゃん、ぼくはいなくなってしまうけど、君と友達だったことは決して忘れないよ。
友達になってくれて、本当にありがとう。 |
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優秀賞
母の小言 岡山理科大学附属中2年 藤村 明梨 |
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私の母は口うるさい。口を開けば、
「電気はこまめに消して!」
「冷蔵庫を長く開けっ放しにしないの!」
「水を出しっ放しにしません!」
「エアコンがついている部屋へ出入りするときは素早く!」
「お出かけの時は水筒を持って行って!」
これらはほんの一例。挙げるとキリがない。
実際は、ここには書ききれないほど多く、とにかく細かい。小さいころから、耳にたこができるほど言われた。理由は決まって「地球がお熱を出すから」。
小学校中学年のころに気付いた。もしかして、うちは貧乏なのではないか。地球がお熱を出すなんて、母以外の口から聞いたこともないし。よく考えてみたら、母が言う「地球のお熱対策」はどれも、節約につながることばかりではないか。しかし、面と向かってそんなことを聞けるはずもなく、時が流れた。
小学校高学年になり、学校で地球温暖化について習った。温室効果ガスの増加により、地球の平均気温が上がり続けているという。その時、ようやく合点がいった。母が言っていた「地球のお熱」とはこのことだったのだ。幼い私にも分かるように「お熱」と言う表現をしていたのだ。そういえば、母はこんなことも言っていた。
「紙はごみ箱に捨てず、小さくても資源ごみ入れに入れて!ごみ箱に入れたらごみだけど、資源ごみ入れに入れれば、資源になるから。」
うちは貧乏なんじゃないかなどと思っていたが、母が危惧していたのは我が家の家計ではなく、母よりも未来を生きる私たちの将来、私たちが生きているこの地球の将来のことだったのだ。
近年、異常気象や夏の気温の高さについての話をよく耳にする。また、去年から今年にかけての冬は記録的な暖冬だった。「数十年に一度」というワードもよく耳にする。異常な状態が通常になりつつある。とても危険な状態だと、肌で感じている。今までは、正直貧乏くさいと感じていた母の小言を、地球温暖化を知った今では、地球を守りたいというポジティブな気持ちで実践できるようになった。でも、私たち家族の力だけでは微々たるもの。できれば一人でも多くの方に知ってもらい、ぜひ実践してもらいたいと思っている。
これを読んでいただいている、そこのあなた!よろしければ、この作文に挙げた母の小言・・・いや、母の「地球を守る実践例」を、一つでもいいので実践してみませんか?私たちと一緒に、地球の未来を守りましょう! |
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特別賞
ぼくのすむまち、びせい 井原市立美星小1年 川上 礼 |
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ぼくのすむまちは、うつくしいほしのまちとかいて、びせいといいます。しょうわのじだいに、みやまがわとほしだがわのふたつのかわのなまえからできたらしいです。
ふたつのかわのなまえとは、うつくしいやまとかいて、みやまがわ、ほしにたんぼのたとかいて、ほしだがわだそうです。ぼくはまだかんじのことはわからないけれど、きれいにかいてみたいです。
びせいちょうのことをしらべてみました。じんこうは、やく3ぜん5ひゃくにんくらいだそうです。おかやまけんのみなみのほうにあるいばらしの、きたにある、やまのうえのちいさなまち。のうぎょうとらくのうをちゅうしんにさかえてきました。だい2じせかいたいせんというおおきなせんそうのあとからほかのやまのまちやしまのように、どんどんひとがへってきているようです。
おとうさんがしょうがっこうにいっているときは、5ひゃくにんもこどもがいたそうです。たしかに、うんどうじょうやがっこうがひろいです。ぼくのクラスは9にん。なんでこんなにこどもがへったのかな。きんじょにもおともだちがいません。なんだかさびしいなあ。
おとうさんにびせいちょうは、いろいろなことをしているとききました。まず、30ね
んほどまえに、にほんでさいしょのひかりがいぼうしじょうれいというきまりができたそうです。ネオンなどのひかりで、かんきょうやいきものにわるいえいきょうがあるのをへらすことときれいなほしぞらをまもるためだそうです。
そして、そのきまりをやくだてて、3ねんまえに、ほしぞらほごくのダークスカイ・コミュニティにアジアではじめて、びせいちょうがみとめられました。このダークスカイ・コミュニティは、ただほしぞらがきれいなだけではないそうです。なんねんもかけて、ちいきのひとたちがきょうりょくしてしぜんのよるのくらさをまもってきたばしょでないと、みとめてもらえません。ぼくはびせいにすんでいることが、とてもうれしくなりました。
よるほしをみると、ほしがたくさんみえます。このまえも、おとうさんと、ほしぞらをみました。いろいろなほしがあって、きらきらしていて、ながれぼしもみえて、とてもきれいでした。
こんなきれいなほしぞらをむかしから、みあげていたんだな、このほしぞらをまもるために、びせいのひとが、がんばってくれていたんだなとおもいました。24じかんのコンビニはないけど、ほしぞらをまもるためにがまんします。
ぼくは、まだうまれて6ねんぐらいだからびせいのことをしりません。でも、これからもずっとしらべていきたいです。 |
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特別賞
生き物を守りたい 倉敷市立船穂小5年 木下 陽斗 |
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僕は、小さい頃から海に暮らす生き物に興味があります。特に、サメとペンギンが好きです。毎日のように図鑑や本を見て、種類と特徴を色々覚えました。僕の特別な楽しみは水族館に行くことです。
水族館では、優雅に泳ぐジンベエザメや、可愛らしく歩くケープペンギンなど、世界中の様々な生き物に会うことができます。生き物は、僕の心をときめかせて、いやしてくれます。水族館は、人を楽しませてくれる場所ですが、それだけではありません。生き物の生態調査や研究も行われていて、絶滅危惧種に指定されている生き物も飼育されています。
僕をいやしてくれる、ジンベエザメやケープペンギンも、この絶滅危惧種に指定されていて、絶滅の危機に直面している野生生物の数は、なんと四万種を超えるそうです。水族館で当たり前に見ることのできる生き物たち
も、いつか地球上のどこにもいなくなってしまうかもしれないのです。たくさんの生き物が、どうしてそのような事態に追い込まれてしまっているのか、僕は原因を知りたいと思っていました。
ある日僕は、テレビを見ていて、東真七水さんという方を知りました。東さんは、沖縄の美しい海を守るために、海中ごみ拾いの活動をされている方です。東さんが、この活動で一年半の間に集めたごみの量は、四百キログラムにもなったそうです。しかし、世界中には年間八百万トンものごみが川や海に流れ込んでいるのだと、東さんは話します。大量すぎてどれほどなのか、僕には想像が付きません。そして、そのごみの六十五パーセントが、ペットボトルやポリ袋、漁具などのプラスチックごみで、これが近年よく聞くようになった「海洋プラスチックごみ」と呼ばれている物です。2050年には、この海洋プラスチックごみが海の重量を超えてしまう予測がされているのだそうです。人間の快適な暮らしは、川や海を汚染し、その他にも様々な環境問題を招き、あらゆる生態に悪影響を与えているということを、僕は東さんの活動から知りました。
生き物を絶滅の危機に追い込んでいたのは、
僕たち人間でした。ひどい現実です。でも、人間も同じ生き物なので、他人事ではないのです。これ以上、生き物を危機に追い込まないためには、水族館での調査や研究も、東さんのような活動も、どちらも必要不可欠なことだと思います。
「ごみ拾いは、一人の百歩より百人の一歩。
こう話していた東さんの言葉は、とても印象的でした。僕も百人のうちの一人になりたくて、河原へごみ拾いをしに行きました。川や海のごみが減り、生き物が暮らしやすい環境へと変わってほしいです。小さな一歩であっても、僕にできることをやっていきたいと強く思いました。 |
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特別賞
海洋汚染について 井原市立井原中3年 西田 真優 |
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地球は、四分の三を海で覆われています。そして、私たちが住んでいる日本は、海に囲まれています。それで、私たち日本人の先祖の人たちは、海を食料の源にしたり、交通、輸送も海を使ってきました。海は、私たち日本人にとって、昔も今も変わりなく私たちの生活には、欠かせない大切なものです。
しかし、その私たちの海が、私たちの手によって現在は汚染されています。私の祖父は、遊漁船や観光船を操業しています。
祖父の船に乗せてもらっている時に、船のスクリューにビニール袋が巻きついて、船が動かなくなったことがあります。また、流れているロープがスクリューに巻きついて、そのロープが取れなくて、冬の冷たい海の中に祖父が包丁を持って、潜って取ったこともあります。冷たい海の中、祖父が死んでしまうのではないかと、ドキドキしながら見ていました。巻きついたロープはすぐには取れずに、祖父は何回も上がってきては潜るをくり返しました。結局、きれいには取れずに、船が走れるぐらいでやめて帰ることにしました。祖父は、すぐ着替えましたが、寒さでぶるぶると震えていたので、私や祖母は持っていたカイロをたくさん貼ってあげました。後日、船をクレーンで上げて取ったそうです。スクリューは曲がり、お金もかかったそうです。
たった一枚のビニール袋が、たった一本の短いロープが、こんなにも大変なことになり、もしかしたら、船の事故や潜った祖父の二次災害にもなったかもしれません。
海洋汚染とは、その名のとおり、海が汚れている状態です。ごみのポイ捨てや排水の放出等、私たちが何も考えずに行ってきたことが積み重なり、引き起こした問題だと思います。そして、その被害を一番に受けているのは、海洋生物だと思います。祖父から、島の漁師さんたちが、魚が取れなくなったから次々と漁師をやめていったり、水質の変化などで、海苔が取れなくなり、島の人たちが海苔の漁業をやめていくそうです。人が起こした身勝手な行動によって、なにも悪くない海洋生物たちが、犠牲になっているのです。私たち人間が、関係してきたことなので、私たち人間が変わらなければ、なにも解決せずに深刻化していくと思います。
祖父は、オーシャンメールというグループを作って、月に一回集まって、海の掃除をしています。台風の後などでは、すごいごみの量だそうです。毎月していても、ごみは減らないみたいです。
そういう祖父の姿を見て、私が無理なく続けられることはないか考えてみました。例えば、マイボトルを持参する、マイバッグを持参する、ポイ捨てをしない、料理で出た油はふき取るなどです。
美しい海を取り戻すために、今すぐできることから始めようと思います。 |
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特別賞
夏休みに感じたこと 倉敷市立長尾小4年 小野 桜乃音 |
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わたしは、今年の夏休みに、星空の観察をたくさんしました。お父さんも星がすきで、いっしょに観察していました。わたしの家は、玉島ですが、だいたいいつも8時すぎだと星は少なく、9時前になると見える星の数がふえて、午前4時だと、かなりたくさんの星が見えます。それでもお父さんは、
「お父さんの小さいころは、駅前でもたくさんの星が見えていたのに、あまりよく見えなくなったなぁ。」
と、よく話しています。
わたしのご先祖様は、びっ中松山城のおとの様の家来で、玉島に駅ができることになり、駅前にひっこして来たとお父さんから聞きました。お母さんは、岡山以外の所からけっこんして来たとき、「水がおいしい、水が冷たい。「なぜ」とよく思っていたそうです。」わたしは、そんなことを思ったことなんかないけれど、おじいちゃんの家や東京へ行った時のことを思い出すと水はそんなに冷たくない気がします。そういえば、じょう水場の見学へ行った時、倉敷の水は、井戸水だと聞きました。
おぼんにペルセウス座流星群が見られる日があったので、美星町へ行ってみました。星がたくさん見えて、とてもきれいでびっくりしました。宇宙にいるような気分になりました。家で星を見るより早い時間に見たのにふだんは見えない星がたくさん見えて、お父さんやお母さんと感動しました。空気がきれいだと星もきれいに見えるそうです。わたしのご先祖様も、こんな星空を見ていたのかもしれないなと思いました。昔は高い建物やたくさんの家もなかったなら、もっとたくさん星が見えたのかな。
わたしもきれいな星空やきれいな水の流れる町を大切にしていきたいと思いました。きっと、わたしのご先祖様たちも大切にしてきたように、わたしもゆたかな自ぜんを大切にして、この星空を何十年先も見ていたいと思いました。わたしの学校の校歌にあるように「高はし川にめぐまれてさかえる町のよい子たち」をめざして、高はし川からもらっている自ぜんに「ありがとう。」と思いながら生活していきたいと思います。秋になったらまた美星町にも星空を見に行きたいです。 |
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特別賞
地球はみんなの宝物 井原市立西江原小3年 谷井 佑晟 |
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「サラサラサラ、チャポン」
ぼくのおばあちゃんの家は川が目の前にあります。まどを開けると川のながれる音が聞こえ、魚がはねたり光ったりするのが見えます。ぼくは、おばあちゃんの家に行くとなんだかとてもワクワクします。
しかしここ数年いじょうに雨がふる事があり、川の水位があがってきゅうにひなんをしないといけない事があるそうです。ぼくはまだ小さかったころで記おくにありませんが、西日本ごう雨ではおばあちゃんの家も少しつかったそうです。
「昔はこんな事はなかったのに、雨がふるたびにこわいんじゃ。足がわるくなったら住めんようになるかもしれん。昔はアユもたくさんおったのに、今はおらんようになった。」とかなしそうに言っていました。
昔はなかったことがなぜおきるようになったのか気になり調べてみると、地球温だん化がえいきょうしているようでした。地球は太陽のねつで暖められていてよぶんなねつは宇宙にでていきますが、一部は温室こうかガスにきゅうしゅうされてしまうそうです。その温室こうかガスが今ふえすぎていて、宇宙に出るはずのねつが地球にのこって気温があがる事を地球温だん化というそうです。気温があがると、海からたくさん水がじょう発するからたくさんの雨がふるという事でした。地球温だん化の一番の原因は二さんかたんそであり、自動車や電気やゴミをもやす事などでたくさん発生しているそうです。ぼくは、それを知っておどろきと同時にショックをうけました。何も思わずあたり前に生活で使っていたものが地球にダメージをあたえていたからです。
そこでぼくに何かできる事はないかと考えた所、使っていない部屋の電気はけす事、食べ物はのこさず食べる事、本当にひつような物だけを買ってゴミをへらす事、水を大切に使うなど考えると今からできそうな事がたくさんうかんできました。
今回この作文を書くために、地球温だん化についてたくさんの事を知る事ができたし、おばあちゃんと川についてあらためて話すことができたのでとてもうれしかったです。小さな事でも地球をまもるために何かできる事を見つけてしていきたいと思います。そしてぼくや家ぞく、おばあちゃん、世界中の人々や生き物たちが安心安全で、しあわせにくらしていく事ができたらいいなと思います。 |
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特別賞
大切な川を守るために僕たちにできること 倉敷市立船穂中1年 園田 大翔 |
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今年はパリでオリンピックが開さいされています。準備の様子などを伝えるニュースもよく見られました。その中でセーヌ川の水質が問題になっていました。セーヌ川は水質の悪化が原因で一九二三年に泳ぐことが禁止されました。工場排水などで汚染が最も進んだ七0年代にはなんと、三種類の魚しか確認されなかったそうです。水質改善に力を注いだ結果、今では生息する魚が三十種類以上に回復したそうです。
今回のオリンピック開さいにあたり、さらに水質を改善するため、パリ市は十四億ユーロ(日本円で約二三00億円)をかけて対策したそうです。それでもまだ安全基準を満たさない日が多く、競技実施に対して不安の声も多く聞かれました。セーヌ川ではトライアスロンとオープンウォータースイミングが実施されましたが、水質が安全基準値を満たしていないためトライアスロンの日程が延期になったり、実際に泳いだ選手が体調不良を訴える事例もありました。
なぜ日によって水質に差があるのか調べてみると、パリ市では雨水と下水が同じ下水管を通って処理場に流れる「合流式水道管」が使われていて、雨量の多いときは下水管があふれるのを防ぐために川に直接流しているそうです。そのため雨が降った後は水質が悪化しやすいということがわかりました。
川の水が汚れる原因としては、工場などからの産業排水と、台所や風呂・トイレなどの日常生活から出される生活排水があります。川が汚れると生き物がすめなくなったり、悪臭がしたり、蚊やハエなどの虫が発生するようになります。さらに汚れがひどくなると僕たちが普段飲んでいる水道水も飲めなくなってしまいます。
僕の住んでいる地域にある高梁川は、水質判定の結果、上流下流ともに水質階級一〜二で、「きれいな水」〜「ややきれいな水」と判定されています。ウインドサーフィンやカヌーなどの水上スポーツも盛んで、僕も地域のイベントでカヌーをしたことがあります。水質を気にしながらだとスポーツやレジャーに集中できなくなるので、思いっきり楽しむには川がきれいであることも大切なのだと思いました。
水質をきれいに保つために僕たちにできることは何か考えてみました。何千億円もはらって、大規模な修理や工事を行い、水質改善をすることはなかなかできません。ですが、食器の油汚れなどは紙でふいてから洗う、食べ残しや食品くずを直接流さない、シャンプーや洗剤などを使いすぎないなど、普段の生活の中にも自分にできることがたくさんあると知りました。これら一つ一つは小さなことかもしれませんが、まずは自分が家庭や学校でできることをして、きれいで大切な川をいつまでも残るようにしていきたいです。 |
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特別賞
未来の私たちのために 倉敷市立葦高小5年 持田 奈保 |
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私は、水が大好きだ。小さいころは、祖母の家でよく水遊びをしていた。今は、習い事でスイミングに通っている。水は、冷たくてとても気持ちがいい。心もすっきりする。
「水はあることが当たり前なもの。」と思っていたが、そうではないことをニュースで知った。今年の正月の能登半島地震だ。断水となり、復旧までに時間がかかったため、ふだんの生活が全てできなくなっていた。水は、私たちが生きていくために必要不可欠なものだと気がついた。
もう少し調べてみると、世界にはきれいな水を自由に使えない国があることが分かった。
そこでは、病気などで命を落とす人が大勢いた。きれいで安全な水が毎日使える私の生活は、とても幸せなのだと強く思った。
私は、学校でSDGs委員会に入っている。一学期には、環境を守る活動として、給食の食べ残しから肥料作りを行った。豊かな自然を守る工夫は、自分の身近なところにたくさんあることを知った。
SDGsには、水に関する目標が二つある。
一つ目は「6安全な水とトイレを世界中に」だ。四年生の社会科で、水は地球をめぐっていることを勉強した。毎日のくらしの中で水を大切に使うことが、未来の自分たちのくらしを守っていくことにつながると思う。例えば、水を止めながら手あらいやうがいをする。歯みがきは、コップに水を入れてする。お風呂の残り湯を洗たくに使う。考えてみると、まだまだアイディアはありそうだ。これらのことを、SDGs委員会として全校に呼びかけると、私たちの学校や地域から、「安全な水」を大切にする意識が広まっていくと思う。
二つ目は「14海の豊かさを守ろう」だ。私は、一学期に海の学校に行った。みんなでカッターをこいだり、砂浜で砂遊びをしたり、海の楽しさを味わった。その中で、「地引き網」という活動では、海の環境について心に残ることがあった。大勢で網を引っ張ったがとれた魚は十七ひきだった。昔はもっととれていたそうだが、海のよごれがひどくなり、魚が少なくなってしまったという。人間の生活が、海をよごしてしまったと知り、とても残念だった。たしかに、私の家の近くの用水路にもゴミが流れていることがある。どこか遠くの話ではなく、身近なところの「少しの油断」が海にたまっていたのだ。しかし、前向きな話も聞いた。最近、海のよごれは少しずつ改ぜんされているそうだ。まずは海をきれいにし、その後、海に魚がもどってくるように、地域に住む一人ひとりが「少しの配りょ」を重ねていくことが必要だと感じた。
豊かな水を守ることは、世界中の人々の幸せな生活につながる。水道のじゃ口から出る水は海につながり、海は世界とつながっている。世界とのつながりを感じながら、水を大切にする意識をもち続けておきたい。 |
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特別賞
私達がトップにいる理由 井原市立井原中3年 藤間 美和 |
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「水質汚染」と言われたら、魚取りをしていた小学校のころを思いだす。私は親や祖父と川だけではなく、排水溝でも魚取りをしていた時があった。だがある時、排水溝から、ギトギトの油や、洗剤が流れていた。私の母が「汚いから、ここでは、魚取りをするのはやめた方がいい」と言ったことがショックで、今でもそのことは覚えている。「ここにいたエビやメダカやザリガニは、どこへいったの?死んでないよね?大丈夫だよね?」と、その日は一日中悩んでいたと思う。
ある日、「人間は、生態系のトップにいる」ということを習った。人類は無限に拡張する言語と、抽象的に考える能力、いわば知能を授かったから、生態系の中では、一番強いということを。だが私は、知能を授かったと同時に、自己中心的な考え、つまり「わがまま」も授かってしまったと思えている。人間は自分達の都合のいいように、自然の環境とつき合っているし、いこうともしている。私はある動物達との関わりについて描かれている漫画を読み、そう思った。自分達は違う、ちゃんと動物のことも思っている、という人も中にはいると思う。それでは質問する。アザラシがシロクマに襲われている。自分は手に銃を持っている。あなたならなにをするか。私だったら、とっさにとる行動であれば絶対にシロクマめがけて、銃を撃っていると思う。ほとんどの人は、「シロクマを驚かせてどこかに行ってもらうために、おどしで銃を使う」や「アザラシがかわいそうなのでシロクマに向けて銃を撃つ」など、私と同じシロクマを敵にまわすことを選んだのではないか。それがリアルで、とっさの判断を迫られるのであれば尚更そうだ。だがその判断は、人間の「わがまま」が無意識にあふれ出ていると思う。よくよく考えてみると、シロクマは生きた動物を殺して食べないと生きていけない、だが人間の無神経の「かわいそう」というとっさの判断により、悪者扱いされてしまう。人だって肉を食べているのに。だけど人は、言い訳ができる。知能を持った生き物だから。
「わがまま」は、排水溝や人間性以外にもある。生態系のバランスを一番に崩しているのは、自分達なのにも関わらず、外来種は、許されず人の手によって殺されていく。「そんなことをしたら動物が死んでしまいますよ」より、「そんなことをしたら動物が死んで人にも悪影響がありますよ」のほうが説得力があるし、教えてもらう時も、こっちのほうが多い気がする。私だって、「動物のために、エアコン禁止」と言われても絶対に無理だ。
本当にこんなのが生態系のトップでいいのか。実際に今、人間によって、地球で環境問題が起こっている「環境問題」だけに視野に置くのではなく、「人間のわがまま」と「地球の限界」について比較してみよう。大丈夫、私達は知能に恵まれた生き物なのだから。 |
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特別賞
高梁川流域サミットに参加して 倉敷市立葦高小6年 陶山 叶来 |
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私は夏休みに「令和6年度第2回高梁川流域こどもサミット」に参加しました。このサミットでは、高梁川流域連盟創設60周年で作成した流域サミット宣言の内容をもとに、高梁川流域のより良い発展に向けて、今、自分たちに何ができるかを議論するために、高梁川流域の7市3町の小中学生が集まって、まちづくりにかかる問題解決に共同で取り組みました。
サミット宣言には①高梁川の貴重な水を守るとともに、水辺の景観や生態系の保護を進めることにより、豊かな自然環境を次の世代に伝えます。②河川整備や適切な管理を行い災害から流域住民の生命と財産を守ります。など6つの内容があり、私のグループではその中の⑤流域の魅力を積極的に情報発信し、観光や移住・交流による人々の流れを拡大することで、賑わいを創出させるためにはどうすれば良いかについて話し合いました。
高梁川流域に観光に来る人が増えるように、魅力が伝わるチラシを配った理、SNSで発信したり、更に目の見えない人にも伝わるように音声付きホームページの解説などと様々な意見がでました。そして、様々な意見が採用されて高梁川流域が賑わうといいなと感じました。しかし、観光客や移住者が増えることは環境にとってはどうなのだろうかと思います。何故なら人が増えるとゴミが増えたり、自然がこわされたりするのではないかと想像するからです。このことをサミットで話し合うことはできませんでしたが家に帰って家族と話をしたり自分で考えたりすると、環境を守ったり整えたりするためにはお金も人も必要だということに気がつきました。
観光客がたくさん来るとお金を使ってくれて、そのお金を環境のために使うことができるし、住む人が増えると税金が増えて自然を守るために使うことができます。また、環境を守るためには人の手が必要です。多くの人がどうすれば良いのかを考えたり、実際に動いたりすると、より良い考えが出て良い結果につながると思います。だから、環境を守るためにはたくさんの人が必要だと思います。
たくさんの人が集まるには観光面の充実やPRも大切ですが、すでに住んでいる人たちが「ここに住み続けたい」と感じることも大切だと思います。住みやすい場所、住みたい場所であり続けるために何が必要なのか、何ができるのかを考えていくことがこれから大切になっていくと思います。 |
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入賞
ある川と私たちのお話 倉敷市立豊洲小5年 高山 優波 |
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昔むかしのお話
小さいけれど、すんだ水の流れる川がありました。昔むかしのずっと昔から、そこに住んでいる魚たちがいました。時々村の子どもたちや鳥たちにつかまえられるけれど、それでも豊かなくらしがそこにはありました。
今のお話
そのきれいな川は、人間のくらしの発展とともにコンクリートでぬり固められ、水がにごり、もがたくさん生えました。いつからか見たことのない大きくて狂ぼうな外国の魚たちが住みつくようになり、もともといた魚たちは食べられて、そしてどんどん数が減っていきました。
さて、みなさんはどう思いますか。人間のくらしは豊かになったからしかたないと思いますか。では想像してみて下さい。
今、幸せに家族と過ごしているこの世界がだれかのせいでどんどん空気がよごれて、息苦しくなり、まわりはコンクリートだらけで緑は見えなくなります。そしていつからか見たことのない外国の兵器を持ったロボットたちがわがもの顔で町をうろつきます。人々は毎日びくびくしながら小さくなって生きていかなくてはなりません。
さあどうですか。どう思いますか。これが魚たちに起こった出来事です。生き物たちは今、悲鳴をあげています。さあ、どうしますか。次に悲鳴をあげるのは・・・、あなたかもしれません。
未来のお話
そこに住む人々の努力のおかげで、すっかり美しさを取りもどした川がありました。川には小さな生き物や魚たちがもどり、鳥も水辺にやってくるようになりました。お年よりたちは子どものころのことを思い出し、笑顔で孫が魚つりをするのを見守っているのでした。 |
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入賞
豊かな自然と生きていくために 倉敷市立西中2年 安藤 結香 |
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これは、私がまだ小学生だったときのことです。私の母は買い物をした時、いつもエコバッグを使っていました。どうしてレジ袋にしないのかをたずねると、「レジ袋はお金がかかるし、エコバッグを使い回した方が環境にもいいからね。」と母は答えました。私はそのとき、どうしてレジ袋が有料なのか、どうしてエコバッグを使うことが環境にいいのかよく分からないまま「そうなんだ」と言うだけでした。今思うと当時の私は環境問題への関心をあまり持っていなかったなと感じます。
学年が上がり、授業で環境問題について学習することになり、地球温暖化の話を聞きました。二酸化炭素の排出により、地球の温度が上昇していることを知りました。自分にできることは何か、と問われた時、私はすぐに思いつくことができませんでした。自分一人の力で環境問題を解決するなど、絶対に無理だと考えていたからです。しかし先生の話を聞いていると、私にもできそうなことがたくさんあることを知りました。その中に母の言っていた「エコバッグを使用する」ということも入っていました。レジ袋を使った場合は使い捨てて燃やされ二酸化炭素が発生してしまうが、エコバッグは使い回せるのでごみの量を減らせるというのです。私はあの時母の言っていた意味がちゃんと理解できたことがうれしかったのと同時に、自分一人でもできることがあるのだと希望をみいだしました。
それから私は「自分にできること」をしょっちゅう考えるようになりました。自分一人の力でも、少しだけ環境のために役立っていると思うと、すごくうれしいのです。例えば、ごみを増やさないよう食べ残しをできるだけしないようにしたり、電気を無駄に使わないようにしたり、様々なことが思いうかびました。しかし考えているだけではいけません。実際に行動しないと役に立っているとは言えないからです。
環境問題は思っている以上に身近なものです。いつか誰かが、ではなく今、自分たちが、と考えられるようになっていってほしいです。
昔の私のように自分一人では解決できない、と思っていても何も変わりません。自分たちの生活を豊かにするには、一人一人の努力が必要です。皆の少しずつの力があわさると大きな力に変わります。それが地球の未来を美しく変えることを私は信じています。 |
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入賞
タガメやゲンゴロウのいばしょ 早島町立早島小1年 髙村 惟月 |
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ぼくは、虫とりがだいすきです。いろんな昆虫をさがしにいろんなところへいっています。
でも、タガメやゲンゴロウのすがたをいままでみたことがありません。おじいちゃんが「むかしは、このへんでもタガメが田んぼにたいりょうはっせいしとったんじゃがな」とおしえてくれました。
ぼくは、どうして水せい昆虫をみつけることがむずかしくなったかをかんがえてみました。のうやくがつかわれて、川の水がよごれてエサになるドジョウがいなくなったから。タガメのすんでいたぬまや田んぼがすくなくなったからとかんがえてみました。ほんやインターネットでしらべてみると、ほかに外らい生ぶつがふえてエサがへったから。ペットとしてにんきのため、たくさんとられてしまったこともげんいんだとわかりました。
くらしきしぜんしはくぶつかんのひとに岡山県のどこでタガメやゲンゴロウがみられるかききました。
「岡山県では、よしい川より東にタガメがせいそくしています。一じはほとんどみられなくなったのをそだてて、すこしずつかずがふえてきています」とおしえてくれました。
ぼくは、たかはし川のちかくでもタガメやゲンゴロウがみたいです。そのためにゴミのポイすてはしない。かんきょうをこわさないようにする。虫とりをしすぎないようにするなどじぶんでもがんばろうとおもいました。 |
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僕のお家 倉敷市立西中1年 須増 絆里 |
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昔々あるところに僕たちメダカの家族が住んでいました。僕たち家族はみんなで追いかけっこしたり、いっぱい遊んで喉がかわいたら美味しいお水をごくごく飲んだりして楽しい日々を過ごしていました。
家のお隣には優しいカニさんや村で一番物知りなナマズおじさん、ちょっと乱暴なザリガニくんなどがいっしょに暮らしています。夏にはホタルさんがお空をいっぱい飛んでお星様のようにキラキラ輝いていました。僕はそんな毎日が楽しくて大好きでした。
ところがなんだかおかしなことがおこるようになりました。まずお水の味がへんてこりんな味になってきました。色もなんだかどんよりしてきました。お家の周りに空き缶やお菓子のゴミが落ちていることが増えました。村のみんながお引越ししてしまって、ホタルさんたちもいつのまにか姿を見せてくれなくなってしまいました。
そして僕たち家族も引っ越すことになりました。僕はここにずっと住んでいたかったのでとっても悲しくて涙が一粒川に消えました。
引越しの途中よろよろ泳いでいると太郎くんが助けてくれて太郎くんと一緒に暮らすことになりました。太郎くんと前のお家の話をたくさんしました。
お話を聞いて、太郎くんは
「僕は昔ゴミを川に捨てちゃったことがあるんだ。そこに住んでいる子たちがどうなるかなんて考えてなかったよ。ひどいことしてごめんね」
それを聞いた僕はとってもとっても嬉しかったです。
次の日曜日さっそく太郎くんはゴミ拾いを始めました。やってみるとゴミはたくさん落ちていることに気がつきました。太郎くんの様子を見たお友達も手伝い始めました。初めは二人だけだったゴミ拾いも一週間もたつとクラスのみんなでするようになりました。
川はだんだんと綺麗な水にもどってきたようです。気がつくと村のみんなが川に帰ってきました。
お別れの日、太郎くんが言ってくれました。「これからも川を綺麗にするからまたあいにきてよ。僕もあいにいくから。さよなら」
そうして僕は川に帰ってきました。ずっとこの綺麗な川で過ごせますように。 |
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未来を守るために 倉敷市立船穂中2年 園田 結麻 |
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「ただいま。WBGT(湿球黒球温度)が31度を超えたから部活が中止になって帰ってきたんだ」と私が言う。
それを聞いた母が、
「毎日、暑さが厳しいもんね。お母さんが部活をしていた頃にはWBGTって言葉は聞いたこともなかったよ。気温が高いからという理由で部活が中止になることがなかったからね」と言った。
母の話では、
「三十年前は、夏休みは午前中の涼しい間に宿題しよう。」と言われていたようだ。
なぜなら、午前中はエアコンをつけなくても十分涼しかったからだ。午後から暑くなるので、それまでに学習に集中して取り組みましょう・・・ということなのだ。
今は、一日中エアコンをつけていないと家の中でも熱中症になり、命を落とす危険があると言われている。午前中といえども、真夏にエアコンをつけずに生活することは想像ができない。
一体、母の言う三十年前の気温はどのくらいだったのか・・・実際に調べてみた。
三十年前、1994年の最高気温は33.5度だったそうだ。そして、去年の2023年の最高気温は石川県で観測された40・4度。およそ7度も気温が高くなっていることに、私はとても驚いた。
テレビのニュースでよく耳にする「地球温暖化」。原因は、人間の活動によって大気中に放出された温室効果ガスによるものだそうだ。自動車や飛行機を動かすこと、電気を作ること、ごみを燃やすことで発生する二酸化炭素が主な原因だ。
これ以上の気温上昇を止めるためには、例えばちょっとの距離を自動車に乗ったり、物をムダにすることをやめれば、たくさんのごみを燃やすこともなくなる。また、エアコンの温度を控えめにしたり、電気をまめに消すことで、電気を作るために石油や天然ガスなどを燃やす量を減らすこともできるそうだ。
これらの中には、節電やごみを減らすなど、私が今すぐ取り組めるものも多いなと考えた。一人ひとりの小さな努力の積み重ねで、大きな結果になってあらわれるはずだ。快適な、過ごしやすい環境をずっと長く維持していきたい。私達は、これから迎える未来を守るために「二酸化炭素を増やさない」意識を持って生活をしなければならない。 |
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かぞくりょこう 倉敷市立水島小1年 井上 笑凜子 |
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ことしもかぞくりょこうにいってきました。わがやではかならず、なつやすみにはいってすぐに、かぞくみんなでとっとりけんよなごしにあるかいけおんせんにでかけます。とまるりょかんもいつもおなじです。わたしは、1さいのなつからまいとしこのかいけおんせんのめのまえにあるゆみがはまといううみにきて、あそんでいます。ことしで6かいめのゆみがはまのうみです。いわばには、ちいさいカニからおおきいカニまでたくさんのカニがいて、てづかみでつかまえたり、あみでとったりします。
ことしは、もずくガニというわたしのかおよりおおきいカニをあみでつかまえました。みぎてだけとてもおおきくて、ふわふわのけがはえています。ひだりてはちいさいてでしたが、とってもげんきのいいカニで、すばしっこくにげますが、おにいちゃんときょうりょくしてはさみうちでつかまえました。わたしがおおさわぎしていると、しらないおじさんたちがきて、びっくりしてわたしにはなしかけてきました。
「このカニどうしたん。あみでつかまえたん。」ときかれたので、わたしが「うん。」とこたえると、
「このカニは、もずくガニというカニでとってもおいしいだけぇ」とおしえてくれました。
わたしはとってもうれしくなって、バケツにつめたいみずを入れて、そのカニを入れてやりました。おかあさんもおとうさんもびっくりしていました。
そのあと、おにいちゃんとそのカニに「もすちゃん」というなまえをつけてやりました。せっかくつかまえたカニをたべることはできませんでしたが、たくさんしゃしんをとってかんさつしたあとは、うみにかえしてやりました。うらしまたろうのおはなしみたいにうみからつかいものがあらわれたらいいなあとおもって、つぎのひ、うみをながめていました。いくらまってもつかいのものは、きませんでした。
またらいねん、もっとおおきくなったもずちゃんにあえたらうれしいなあとおもっています。らいねんまでバイバイといってかえってきました。 |
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守ろう!ぼくらの大黒柱 倉敷市立万寿東小5年 大賀 慶至 |
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五才の時、ぼくは電車に乗って高梁市立図書館に行った。電車は伯備線を走って、備中高梁駅を目指す。この時、電車のまどから大きな川が見える。これが高梁川だ。
四年生では、社会のじゅ業で高梁川について学習した。あの日ぼくが見た川が、倉敷市でくらす人々の生活を支えていることを初めて知った。
岡山県内で最も流域面積が広い高梁川は、よくニュースにもなる。高梁川に関するニュースで、ぼくは内陸部で発生したゴミの問題が一番気になっている。調べてみると、高梁川流域にはたくさんのゴミが捨てられていることが分かった。ペットボトルや空きかん、ポリぶくろ、他には冷ぞう庫や車のタイヤまで捨てられているというからおどろきだ。どれもこれも、もともとはぼくたちの生活に必要だった物。中には、リサイクルできる物も多い。
自然界にペットボトルが捨てられてから分解されるまでに、450年もの時間がかかるといわれている。高梁川にゴミを捨てた人たちは、ゴミが分解されるまでには気が遠くなるような時間がかかることや、自分が捨てたごみが川の流れに乗って海の底にしずむことを想像したことがあるだろうか。多くの人が「みんな捨てているから」「決められた日にゴミを出すのがめんどうだから」などの理由で、ゴミを手放したのではないかとぼくは予想した。
高梁川がたくさんのゴミでよごれていると考えるだけで、ぼくは悲しい気持ちになる。高梁川にはカワセミやアユ、オオサンショウウオなど、たくさんの生き物がくらしている。人間が川にゴミを捨てると、川の水がよごれたり、にごったりして、生態系が崩れる。自然や生き物に興味がない人たちは、「生態系が崩れたって、ぼくたちの生活には何も関係ない」と思うかもしれない。だけど、実はそうではない。生態系が崩れると、人間は生きていけなくなってしまう。
身近な自然を守って、生態系を維持するために川には絶対にゴミを捨てないで欲しい。そして、みんなが高梁川の自然に目を向けて、少しでもそこでくらす魚や動物たちのことに興味を持ってくれたらいいなと思う。
高梁川の自然や生き物を守るために、これからぼくは、必要以上に「欲しがらない」ように気をつけたい。ぼくがふだん使っている文房具や雑貨などは、ほとんどの物がプラスチックでできている。一度買ってもらったものは使えなくなるまで大切に使って、マイクロプラスチックが流出するのを防ぎたい。例えば、ペットボトルの飲み物は買わずに、水とうを持ち歩くだけでも、環境は守れる。
高梁川は岡山県の大黒柱だ。大黒柱がたおれないように、ぼくはみんなで力を合わせて豊かに生きていきたい。 |
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気づいてよ!海からのSOS 倉敷市立倉敷南小3年 平田 彩葉 |
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ここは海べのとあるまち
いつもの海と「何か」ちがう
まっくらやみにつつまれて
よく見ると
そこら中ゴミだらけ
何がおきたの?
海に何があったの?
すなはまにころがる
メッセージボトル
「SOS!助けてください!
二十年後があぶないです
海には魚もいなくなり
ゴミが海をしはいしています
海が地球のゴミすて場になっています」 二十年後がたいへんなことになるの?
海がゴミだらけになるの?
うそでしょ?
今この海で何がおきているの? ぱちっ
目がさめた
ゆめだったのか?
よかった
いや、よくない
二十年後があぶない?
たいへんじゃないか! 2050年
海をただようプラスチックゴミの重さが
海の魚、すべての重さをこえる
あわてて図書館で調べた内容は
とてもおそろしいもので
今まで知らなかった自分
知ろうとしなかった自分
どちらの自分もゆるせない 「まず一歩」
知ろうとし始めた自分
きっと
二十年後の何かをかえる
海をすくいたい
この気持ちは
二十年後もかわらないはず だれかからの
メッセージは
わたしたちの未来をかえる
わたしの行動をかえる わたしたちには
何ができるかな?
やれることから
やってみよう
二十年後の海を
わたしたちの力で
まもろうよ! |
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自然を守るために僕達に出来る事 倉敷市立東中3年 佐藤 旺星 |
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僕は、小学校の時思うことがありました。
通学の時に通る川では、毎日のようにゴミが捨てられていました。その川を見ているとなぜ人は美しい自然をこのように壊してしまうのかが分かりませんでした。
僕は、家に帰ってアイスを食べながら考えました。アイスを食べ終わり、アイスの棒を捨てようとした時ふと頭の中で少しめんどくさいと思いました。その時に、気づきました。この気持ちだけで美しい自然を壊してしまうという事に。こんなしょうもない気持ちで大切な自然を壊してしまうことに気づき、とてもイラつきました。
それからは、町や公園でゴミを捨てる人を見て、とても許せなく、「捨てるのは良くない」と言いたくても、何されるのかと怯える自分も許せませんでした。
ある時、誰が捨てたのかも分からないゴミを拾うボランティアの活動をテレビで見て、とてもすごいと思いました。その時に、自分でもボランティア活動が出来ると分かり、母といとこと一緒に川のゴミを拾うボランティアに参加しました。川からはありえないほどのゴミが出て、「こんなにたくさんのゴミが捨てられているのか」と驚きました。大量のゴミを見て、自然を守るのは困難だと感じてとても悲しくなりました。
たった一人の小学生に何が出来るのか、そう思い考えました。出来る事は限りない。だけど、僕達人間にはゴミを0にすることは出来ないのではないか、そう思いました。でもこれからの未来の事を考えると、やっぱり自然が壊されない方が絶対に良いし、環境が悪いと自分達が苦しくなるだけで、良いことなんて一つも無い。「あの時やれば良かった」じゃ遅い。
自然を守るために行動する事は、やっぱりやった方が良いと思いました。ボランティアに参加した事で、一つでもゴミを減らしたいと思うようになりました。
いつも見て見ぬ振り、そんなのじゃ一つも変わらないそう思って参加したボランティアをきっかけに、普段から道に落ちているゴミを積極的に拾うようになりました。自然を守らないと生き物、森林、海、全てに悪い影響が起こります。これ以上環境を悪化させないためには、一人一人の力が、思いが必要です。出来る、出来ないじゃなく、やるんだ!と気づき、ゴミを捨てる人達を0に近づけようと思いました。
これからも、ボランティアに参加して、まずは周りの人々に呼びかけをし、ゴミの無い美しい自然を守っていきたいと思います。 |
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地球と人間 倉敷市立西中1年 畝木 暖子 |
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遠い遠い宇宙の片隅。ある銀河の中に地球という小さな星がありました。地球には緑の森や広い海、大きな氷山や花が咲きほこる花畑があり、多くの動物たちや人間たちが暮らしていました。人間は新たなものを次々と生み出し、大きく発展していきました。その代わり、工場からは汚れた水や空気がたくさん排出され、資源を得るため木々は切り倒されていきました。人間が発展していくためには仕方のないことです。しかしそれによって、動物たちはすみかや食べ物を失っていきました。いくつかのガスが急に増えたことで気温が上がっていきました。川や海、空気はどんどん汚れていきました。やがて、太陽の光によってきらめいていた海は灰色に濁り、青々と木々が生い茂っていた森は茶色く枯れはて、たくさんの生命が失われていきました。
地球は自分に起きている変化に気がついていました。心優しい地球は人間を怒ることはしませんでした。それどころか、精一杯自分に起こる変化をくい止めようとしていました。それでも変化は止まりません。地球はじわじわと苦しんでいきました。人間たちも変化に気づき、地球を救おうと様々な方法を考えました。やはり変化は止まりません。 ある国で大雨が降ったある日のこと。地球は人々に語りかけました。
「私は地球。あなたたちの住んでいる星。今私は少しずつ壊れていっている。けどね、私は絶対に生きるのよ。ガスなんかに負けない。動物たちを減らさせない。私はずっと変わらず緑と青の綺麗な星として生きるの。ずっと自分にたくさんの生命を宿し続けたいの。だからね、私を少しだけ助けてください。」
それを聞いて人々は、地球のことを、未来のことを想い今まで以上に行動し始めました。 遠い遠い宇宙の片隅。ある銀河の中に地球という小さな星があります。地球には鮮やかな自然や数えきれないほどの生命があります。
かつてこの星はとても汚れ、壊れたことがありました。しかし今は壊れる以前、綺麗なままのときの輝きを取り戻しています。地球はそんな世界を見て微笑みます。地球の目には駆け回る少年が、笑い合う少女が、たくさんの幸せそうな人々が映っていました。 かつての人々は地球を救うことができました。二度とそうならないよう、これからも人々は地球の恵みに感謝しながら、地球を想い、共に生きていくのでしょう。 |
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入賞
いつまでも、この海を 倉敷市立西中2年 小野山 ここ |
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私の親戚は漁師をしている。小さいときからたくさんの魚や貝を食べて育ってきた。しかし、最近漁獲量が減ってきていると聞いた。思い出してみれば、最近ニュースでもよく聞く。気になって調べてみると、漁獲量が減少している理由は主に三つあるようだ。一つ目は漁場汚染や埋め立てが進み、かつてのような資源が望めなくなったこと。二つ目は、輸入水産物が増大し国内水産業が負けたこと。三つ目は、不合理漁業や密猟、乱獲など漁業固有の生産構造が災いし、就業者が減ったことだと分かった。そこで私は、一つ目の漁場汚染に着目した。海に流出したプラスチックごみの年間流出量の割合を見ると、日本は全体で三十位、先進国では二十位のアメリカに次ぐ二番目の多さであった。
私の親戚の漁師に、海洋汚染を止めるためになにか取り組みをしているのか聞いてみた。すると、「魚をとる網で瀬戸内海に流れ着いたゴミを拾って種類別に分別して捨てているよ。海の環境を守るのも長い目線で盛んな漁獲量を守るための漁師の大事な仕事なんだ。」と教えてくれた。それを聞いて私は、微力かもしれないが私も海を守るために何かしたいと思うようになった。
去年の夏、私は友達と地域のお祭りのゴミ拾いボランティアに参加した。しかし、袋いっぱいに集めても、まだまだゴミは落ちている状態に唖然とした。そして今年、私は海外の海を訪れた。すると、たくさんのゴミが落ちていた。それを見て私は、地域でも難しいのに、世界全体で考えることはとても難しいことだと思ってしまった。しかし、だからと言ってこのまま放っておくと、環境破壊がますます深刻化してしまう。調べると、2050年ごろには食べられない魚があるそうだ。今はまだ私たちの身近にあるアジやマグロ、ウナギやタコが壊滅されると計算された。
親戚の漁師のおじさんのように、たくさんのゴミを集めたり、大きく社会貢献をすることは中学生の私にとって難しいことだが、小さなことでも少しずつ積み上げていきたい。私は今年の夏祭りもゴミ拾いボランティアに参加する。友達や周りの人だけにでも呼びかけをしていきたい。些細な取り組みがつながり、いつか大きくなったらいいな。大好きな魚をいつまでも残していくために、今の私にできることを精一杯していこう。 |
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入賞
なにができる 倉敷市立倉敷南小5年 平田 蒼葉 |
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なにができる
十歳のぼくに
なにができる
近所のゴミ拾い?
いや
そんな簡単なことじゃ
未来の地球は救えない
今、自分にできることはなんだろう なにができる
図書館で
SDGsの本を借りて読んでみる なにができる
ゴミの分別
プラスチックの削滅 なにができる
むだな買い物をしない
これはお母さんに伝えよう なにができる
家にある食品の消費期限チェック
これはぼくとお父さんの役割にしよう なにができる
マイボトルを持ち歩く
エコバックを持ち歩く なにができる
本で読んだ知識を家族に伝える
行動にうつしてみる これらの事を
ぼくもやってみる
そして
一人でも多くの人に伝えて広めたい なにができる
ぼくにできることは
無限大だ |
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入賞
春を待っている 倉敷市立船穂中2年 畝田 莉帆 |
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雪が溶け、徐々に植物のつぼみが芽生えはじめる頃、私は冬のおわりを感じます。同時に、春の訪れも感じます。寒く白い冬の間にゆっくりと春の訪れを待っている。そして、雪が溶けるのを合図に、少しずつ、踏んばって踏んばって、やっとの思いでつぼみを出す。
このように地球には、春のためにゆっくり準備を行い、春になれば美しく華やかに自身を魅せつける、強い鮮やかな植物や動物がたくさん存在します。私は中でも、日本の春を象徴する花である、桜に強い魅力を感じています。
桜の開花時期、見頃時期はおおよそ三月下旬から四月下旬です。つぼみは冬の間にできます。つぼみのもとである「花芽」は、夏までに形成され、秋には一旦休眠状態に入ります。この「花芽」が眠りから覚め、開花へ向けて本格的に成長を開始するには、冬の寒さに、さらさなければなりません。冬の低温が刺激となり、「花芽」の成長を促します。
私は、冬の寒さの中を強く懸命に成長し続ける桜がどのような思いで地球温暖化による桜の開花数減少問題と向き合っているのか気になりました。
いま現在、桜の開花数が減っているところが増えているようです。私たち人間は、桜を見て感激したり、勇気をもらったり、一方的に桜に何かしらパワーをもらっています。が、その桜が、今度は人間の責任で、頑張っても咲かない、咲かせたいけど咲けない状態に陥っています。私はそのような桜を減らしたい。
もちろん、世の中には桜のように年々開花数が減っている植物や、生存数が減っている動物が存在します。しかも、その数四万四千を超えています。その中の多くは、世界で絶滅危惧種に認定されています。
それでも、認定されれば確実にしっかり守られるわけではありません。
では、今私たちには何ができるのか。それは、今の現状をよく把握し、身近なSDGsに気付くこと。そして、動植物を大切にすることです。来年やその先の未来、桜が咲けているのかわかりません。
ですが、今頑張れば未来でも桜が見られるかもしれません。ならば私は大切にしたい。桜だって生きていて、桜だって強くて、桜だから魅せられる。
桜や、他の動植物、私たち人間も、地球も待っている。
春を、待っている。 |
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入賞
ゴミ拾いから気づいた事 倉敷市立葦高小5年 中村 多恵 |
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私は小学二年生の時からプロギングというジョギングをしながらゴミを拾う活動をしています。月に一回から四回、母、弟、プロギングのメンバーの四人から十人で未就園児から六十代くらいの老若男女が朝六時三十分から二時間、美観地区周辺の約五キロメートルのエリアをきれいにしています。
プロギングをすることで気づいた事や学びにつながった事が二つあります。一つめは、大谷選手が言っていて人が捨てたゴミは人の運を拾っていて私も運を拾っている気持ちになり、とっても嬉しくなりました。
二つめは、一番多く拾うものはタバコの吸いがらです。おにぎりを包んでいるプラスチックからできているふくろ、ペットボトル、ビン、カンも多いです。プロギングをするようになり、「便利」のうらにはたくさんの捨てられるゴミの存在があります。プロギングを始めた時はあまり知らなかったけど、街にでたゴミは川や海に流れてしまい、魚がゴミをエサとまちがえてしまい食べ、消化できずに死んでしまったり、人間が食べることにもつながります。
今年六月に行った海の学習で地引きあみをしたら、コーヒーのかんや、おかしのふくろも魚といっしょにあみにかかっていました。タバコの吸いがらは完全に分解されるまで一年半から十年かかるそうです。プラスチックゴミのほとんどは自然に分解されることなく、百年以上もの間、海に残り続けていることがわかっています。
私に出来ることをして、ポイ捨てをしない事、日頃からゴミぶくろを持ち歩き、ゴミがでたら、ゴミぶくろに入れて家で捨てるようにすること、使わなくなったものはフリーマーケットや、リサイクルショップで売ったりしたり、人にゆずったりして、ゴミをへらす事。エコバッグを使ったり、マイカップ、マイ容器の持参をよびかけているお店を利用する事。そして、プロギングの仲間をふやす事。そのために活動をけいぞくしたいです。 |
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入賞
ぼくが見た、サンゴは。 倉敷市立葦高小5年 岡﨑 しょう太 |
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ぼくはこの夏休みに、家族で沖縄に旅行へ行ってきました。そこで見た、サンゴ礁がたくさん広がっているきれいな海におどろきました。ぼくが住んでいる岡山県の海と、沖縄県とでは、どうしてこんなにもちがいがある事に、ぎ問に思い家に帰って調べてみる事にしました。
まず、サンゴは水温十八度から三十度、水深四十メートル未満の透明な海でなくては生きられない事が分かりました。そして河川と、やや複ざつな海岸線を持ち、浅海いきの生息かんきょうが多様であることなどが、多くのサンゴの生息を可能にしている事が分かりました。サンゴ礁は、三つのタイプに分かれている事を知りました。島のすそ野にあたる海岸の一部がサンゴ礁になっているものをきょしょう、島のまわりをサンゴ礁が囲んでいるものをほしょう、中央に島がなく水面になり、ドーナツ状になったものがかんしょうです。沖縄のサンゴ礁は、ほとんどがきょしょうのサンゴでした。このタイプのサンゴは、島々を取りのぞくぼうはていとして陸地を作ることもあるそうで、サンゴ礁は、ぼくたちを守っているお父さんお母さんみたいな役わりをしてくれているんだなと思いました。
この事が分かった時ぼくはなんでかうれしい気持ちでいっぱいになりました。調べた事を、お母さんに伝えてみたら、お母さんから返ってきた言葉にぼくはおどろきました。
「しょう太、しょう太はサンゴの色は何色だと思う?」と、お母さんに聞かれました。ぼくはまっさきに思いついた色は白い色でした。その後お母さんがぼくに、電子辞書でサンゴの単語を調べてごらんと、言いました。調べてみると「coral reef」意味は、コーラルとは黄色がかった赤色のこと。リーフは植物の葉を意味していました。ぼくが沖縄で、すな浜や、足がつく場所で見た、サンゴ達は、死んでいたのです。この状態の現象を、白化と言うらしい。このまま白化したサンゴ達の事を、ぼくみたいにサンゴだと思いこんでしまう人達がふえていってしまう事を想像すると、ぼくは悲しい気持ちと同時に、このままではいけない事に、気づきました。毎日あたり前に生活している、家がきれいなのはどうしてか。それは、お父さん、お母さんが家族みんなが生活しやすくするためにそうじをしてくれたり、ゴミをすてに行ってくれたりする事と同じだなと思いました。
そして、沖縄の海がきれいなのは、沖縄に住んでいる人達みんなが、海の事を家族と、同じように大切に思っている事が、調べているうちに分かって良かったです。ぼくも沖縄の人達みたいになりたいなと思いました。そのためには、まず落ちているゴミをひろったり、ゴミをふやさないように工夫をしたり、自然についてもっともっときょうみを持って勉強して、その事を活かして行動できる家族の一人でありたいです。 |
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入賞
オレは、ザリスケ 倉敷市立長尾小3年 牧野 晃大 |
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オレは、アメリカザリガニ。名前はザリスケ。まっかな体、大きなはさみがじまんだぜ。じまんのはさみで水草を切って切って切りまくるぜ。大きなはさみでエビや魚や虫たちをたべまくるぜ。オレたちは、おなかがすいていたからもともといたニホンザリガニも食べてやったぜ。オレたちがすむ所は、水草がへって水がにごるのさ。オレたちは、水の中のかんきょうをこわしてしまったから特定外来生物にしていされてしまった。オレたちは、じゃまものあつかいされている。
もともとオレたちはちがう所にすんでいた。だがある日人間が日本につれてきて、とある池に、はなしたんだ。それからオレたちは、日本でくらすことになった。オレたちは、ただくらしているだけだ。おなかがすいていたからごはんを食べていただけだ。わるいのは、本当にオレたちアメリカザリガニなのか。
たしかに、オレたちは、いるだけで、水の中のかんきょうをこわしてしまう。
オレから人間たちにおねがいがある。これいじょう、オレたちアメリカザリガニをにがさないでくれ。オレたちのなか間の外来生物やもともとすんでいない、生き物をどこででもにがさない、いどうさせないでくれ。オレたちを、つかまえて、かうのか、そのばでにがすのかよく考えて、かうのならさいごまでせきにんをもってかってほしい。
みんな一人一人がオレのおねがいを気をつけてくれたら、ざいらいしゅや水草たちが元気になって水がきれいになると思うんだ。きれいな川や池がたくさんふえると思うんだ。オレたちだってみんなとなかよく、くらしたいんだ。みんなできれいな自然を作ろう。 |
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入賞
小さな海からのおくりもの 倉敷市立西中1年 樋口 瑠花 |
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私は今、中学一年で楽しい学校生活を送っている。ある日のこと、私は、朝早くおきて、ニュースを見ていた。すると、「クジラがプラスチックを飲み、海にあげられた」というニュースだった。私はこのニュースを見て、今の現状を知った。学校に行って、そのことを友達に話した。友達もびっくりしていた。私は、今の海を助けないといけないと思った。そして一日は過ぎていった。
何週間かたって夏休みが来た。夏休みは一日一日が楽しくて大事にしていこうと思った。夏休みのなかばに家族で海へ行くことになった。私は、とても楽しみにその日をまっていた。「やっときた。海に行ける日が」と心の中でずっと喜んでいた。車にのって海へむかった。ついた。喜びがあふれ、車から急いでおりた。私が想像していた海とは全くちがった。人の量も少なく、プラスチックや食べた跡のようなものなどのゴミがちらかっていた。また、たくさんの魚が海からあげられ死んでいた。お父さんやお母さんたちが見せてくれた写真はとてもきれいで人も多かった。家族のみんなはとてもびっくりしていた。もちろん私もだ。私は、ニュースで見た事を思い出した。「そういうことか。今の海は危ないんだ。助けなきゃ」心の中でそうちかった。私はすぐに行動に起こした。袋とトングを手に持ち、一歩ずつふみ出した。一つずつゴミを袋に入れていく。ひろえていないところもあるかもしれない。けど、いいんだ。少しでも海や海の生き物の役に立てれば。家族みんなも手伝ってくれた。「できるじゃん。自分」心の中でほめた。海の水がきれいに足元まで流れてきて、さった。すると、さっきまでは足元になかったきれいな貝がらがあった。私はひろって、「海のおまもり」としてもってかえり、家の「大切なもの」をかざるびんを買ってとっておいた。きっと海からのおくり物だと感じた。海で遊んだりはできなかったけど私は一つの思い出としてうけとめた。一日はもう過ぎようとしていた。
夏休みが終わった。学校だ。作文があり、私は海であったことを書いた。すると賞がもらえた。うれしかった。やっていてよかったと思った。これからも続けたい。もっと役に立ちたいと思った。
日頃の生活にもどった。私は、リサイクルや分別など生活内でできることを少しずつ行った。伝わればいいのにな。海たちに。そう思った。 |
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