先に募集しておりました「第1回地球さんご賞富山小中学生作文コンクール」の入賞者を発表いたします。
地球さんご賞富山は、小中学生の皆さんが、地球環境について文章を書くことで、かけがえのない命や地球環境の現在と未来や大切さを考え、みんなで次の世代へより良い地球を渡したいことを主な目的として開催しております。2024年(令和6年)年7月から同年9月16日(月)まで作品を募集し合計101点ものご応募をいただきました。
第1回『地球さんご賞』作文コンクール 表彰式受賞作品
最優秀賞
氏名 | 作品名 | 所属 |
---|
奥 望帆子 | 地球沸とう化を防ぎたい! | 富山大学附属小6年 |
優秀賞
受賞者一覧に戻る
最優秀賞
地球沸とう化を防ぎたい!
富山大学附属小6年 奥 望帆子 |
---|
 |
「あっついな。いつまであついんだろう」
去年の夏、毎日思っていたことです。私の住む富山県では、最高気温が三十八度とのことでした。
祖母の家に遊びに行くと、
「おばあちゃんが小学生のときは、こんなに暑くなかったよ。最近は冷ぼうがないと大変だね」
と言ってました。
私自身がインフルエンザやコロナウイルスにかかって熱がある時、とても辛くて、息をするのも大変です。ハァハァと呼吸をしてゼイゼイと言いながら、言葉も出ないくらいです。地球も熱がずっとある状態と考えると地球温暖化は地球がずっと病気の状態ということになります。病気の状態である地球は、人間や動物が過ごしていくために心地よい場所と言えるのでしょうか?地球自体もつらい状態であることから人間も動物も良い環境だとは言えないでしょう。
毎年、深刻化していく地球温暖化。今は地球沸とう化ともいうことがあるそうです。そんな地球沸とう化を防ぐために、私たちが取るべき行動はいろいろあると思います。
まず、エネルギーをムダ使いしないということです。
例えば、使っていない部屋の電気を消し、無だなエネルギーの消費をやめることが重要です。また、太陽光や風力などの再生可能エネルギーを活用することで、化石燃料の燃焼による二酸化炭素の排出を減らし、地球温暖化を緩和する効果があると思うので、自分の家に太陽光パネルを設置することも有効だと思います。
さらには、私のような小学生でもできることとして、ごみの削減やリサイクル、そして交通手段の選択など、日常生活の中で環境への配りょを意識することが必要です。
また、森林保護も地球温暖化対策になると勉強しました。森林は二酸化炭素を吸収し、酸素を放出するからです。
政府や会社など温室効果ガスの削減目標を設定することは大事だと思います。環境に優しい技術の開発をすることも重要です。しかし、一番大切なことは、ひとりひとりが、地球温暖化の問題やその影響についての理解を深めることが、大事だと思います。これからもいろんな情報を見たり聞いたりして、注意していきたいです。 |
受賞者一覧に戻る
優秀賞
ねっこのパワー! いのちをつなぐしょくぶつたち
富立山町立山中央小1年 中川 陽葵 |
---|
 |
わたしのいえには、たくさんのはながうえてあります。おかあさんは、まいにち、もっとたくさんのはなをさかせたり、はなにえいようがいきわたるようにしたりするために、ながくのびすぎてしまったはなのくきやはっぱをきっています。わたしは、それをみておもいだしました。まえに、おばあちゃんから、はなたばをもらったとき、まいにちみずをかえて、たいせつにかざっていたら、あるひ、はなたばのなかにあったしょくぶつからねっこがたくさんはえてきたのです。そのあと、たいせつにつちにうえると、いまでもとてもげんきにそだっています。きったしょくぶつから、ねっこがはえて、おおきくそだつことをしって、とてもびっくりしました。そのことをおもいだして、ながくのびすぎてしまったはなのくきをきったときに、すてずにみずがはいったびんにいれてたいせつにそだてたら、ねっこがはえてくるかもしれないとかんがえました。
わたしはことしのなつ、いえにある、にじゅっしゅるいくらいのきったはなやしょくぶつをそだててみました。みずをいれたびんのなかにいれておくと、じゅっしゅるいいじょうのしょくぶつの、きったくきのこところや、くきのとちゅうから、ねっこがはえてきました。ちいさなあかちゃんねっこがぐんぐんのびて、ふとくて、ながいねっこになりました。はえてきたねっこには、ながいねっこやほそいひげがたくさんあるねっこがありました。おもしろいのは、ゆきのけっしょうみたいなねっこがあったことです。ねっこには、いろいろなはえかたがあることがわかりました。
のびすぎてきったり、とちゅうでおれてしまったりしても、たいせつにそだてると、またおおきくせいちょうすることが、とてもふしぎでおもしろかったです。はなやしょくぶつは、こうやっていのおちをつないでいることがわかりました。どんなにちいさなしょくぶつにもいのちがあって、びっくりするほどのパワーでいきていることがわかりました。これからも、はなやしょくぶつをたいせつにしようとおもいました。そして、みんながそんなきもちになって、はなやしょくぶつがたくさんふえたらいいなとおもいました。 |
受賞者一覧に戻る
優秀賞
ある夢物語
南砺市井波小6年 磯辺 知花 |
---|
 |
ある夜、私は夢を見た
星の絵を描く女の子
こちらを向いて聞いてきた
「地球は何色?」 「あお」だって
昔、宇宙へ行った飛行士さんが言っていた
「地球はあおかった」って また、
ある夜、私は夢を見た
紙いっぱいにまるい地球
いつかの女の子の声がする
「どうして地球はあおい色?」 海の色、
空の色、空気や雲やオゾン層の色
森林や草原の色 またまた、
ある夜、私は夢を見た
黒と茶色のボールを持つ女の子
「今も、明日も、地球はあおいの?」 もちろんだよ
急に変わったりはしないから
明日もあおいに決まってる 突然視界が真白になって
気付くと私はちょうちょだった
夢の中の女の子
「お姉さんは何も知らないんだね」 空が無い
私も女の子も箱の中、虫かごみたい
ここじゃないと生きられないの それが私たちの明日 目が醒めた
私は何ができるだろう
考えなくちゃ、やらなくちゃ、明日のために ごみを拾った、きりがない
ごみを減らそう
無駄をなくそう ひとりでやった、きりなない
声を上げよう
仲間を増やそう ある夜、私は夢を見た
青空の下で笑う女の子
「地球は今もあおく輝いている」 |
受賞者一覧に戻る
優秀賞
きっかけ
南砺市井波中2年 磯辺 悠花 |
---|
 |
厳しい暑さが続く毎日、僕は中学2年生の夏を室温19℃の部屋で過ごしていた。僕は暑さが苦手だ。出来れば、汗をかかずに生きていきたい。エアコンを24時間稼働させた部屋で、ふかふかの布団をかぶって眠るのが幸せだと思っている。
お気に入りのマンガを手に、ベッドへと転がった僕はふと机上の封筒が目に止まった。先日、郵便受に入っていた封筒だった。宛名は僕だが、消印がない。意を決した僕は、起き上がって封筒を手に取った。はさみを使って丁寧に端を切っていく。すると開いた封筒の口から光があふれ出した。部屋を満たした光の中、突然現れた厳つい男たちに僕は捕まえられてしまった。そのまま光を通り抜け、見渡す限りの砂の海の中置いていかれてしまった。水も無い、耐え難い暑さの中で僕はすぐにへたりこんでしまった。
気が付くと見知らぬ青年に助け出されていた。ここはエアコンは無いが、日光は避けられる。もらった水を飲み顔をしかめた。文句は言えないが、はっきり言って不味い。助けてくれはしたが、ずっと僕をにらみ続ける。青年は口を開いた。
ここは2124年、青年は僕のひ孫なのだと言う。未来では環境汚染が激しく、住める場所もわずかしかない。異常気象に生物の奇形、この地球は僕の知る頃とは全く違うらしい。止まらない汚染に世界政府は革新的な策に出た。過去100年前に渡り、資源を無駄にした一般人を捕まえるという。一人の無駄遣いが及ぼす環境への害悪を知る実験だ。
僕が何か悪い事をしたのか。
僕と同じような生活をする奴らなんて、周りにも沢山いるだろう。工場とか戦争とか、もっと悪化させる要因があるはずだ。
実験結果はすぐに分かった。バタフライエフェクトという言葉が脳裏にひらめいた。些細な出来事が未来を変える。環境が改善され始めていた。先ずは息苦しさを感じる空気がきれいになった気がする。僕が環境汚染のきっかけを作り出していたのか。恐ろしさが胸を占め先ほどとは違った息苦しさがおそってきた。
僕は自室にいた。室内は涼しいのにも関わらず、僕は背中にじっとりと汗をかいていた。白昼夢を見ていた。いや、それでは説明ができない程に胸の動悸が治まらない。すがる様に握っていた両手を開くと、もらった水のビンがあった。ビンの内側に残っていた水をなめてみる。やはり不味い。
僕は静かにリモコンのボタンを押した。机上に置いたエアコンのリモコンは27℃を表示していた。 |
受賞者一覧に戻る
優秀賞
私達でつくる富山市
富山市八尾中3年 平山 奈津実 |
---|
 |
みなさんは富山市にどんな魅力があると思いますか。私は自然豊かなところが魅力だと思います。その中でも特に立山がきれいだと感じます。なぜなら、私が通う通学路では、高山線の電車と立山が一緒に見える場所があり、とてもきれいだからです。ここは、知る人ぞ知るフォトスポットになっていて、よく県外から写真を撮りに来ている人を見かけます。また、立山は美しいだけでなく私たちに美味しい雪解け水をもたらしてくれます。私はこの魅力に県外へ旅行をした際、初めて気付きました。この経験から地元から一度離れることとで新たな魅力を再発見できると思いました。
ところで、今は自然豊かな富山ですが一度焼け野原になっていたことを知っていますか。一九四五年にアメリカからの空襲によって、一瞬で市街地の九九・五%が焼き尽くされ、約十一万人が被災し二七〇〇人以上の方が亡くなりました。空襲から七十五年経った今、実際に空襲を知る人が少なくなってきています。そのため、私たちが富山大空襲のことを忘れずに次の世代へ伝えていくことが大切だと思います。私は八月一日に打ち上がる花火には空襲で亡くなった方の鎮魂と戦後復興の願いが込められていること位しか知っていないので、これから更に空襲に関する知識を深めていきたいです。
戦後から約七十年経った今、富山市は復興し、住みやすい市になっていると思います。なぜなら、都心に比べ犯罪件数が少なく治安が良いため、子供達だけで公園などで遊ばせることができたり、地域の方との距離が近く地域全体で子どもの成長を見守る雰囲気があるため、保護者にとっても安心できる市だと思うからです。また、自然が豊かで四季の変化を近くで感じられたり、車があれば一時間で山にも海にも行くことができる良い市だと思います。山や海が近いことで、いつも新鮮な野菜や魚を食べることができたり、キャンプや海へ遊びにすぐに行くことができます。私は特に魚の刺身を食べたときに、こんなおいしい魚を食べることができる富山市で暮らせて幸せだなと思います。
富山市は沢山の魅力がある一方、人口減少が進んできています。私が住んでいる八尾の駅には電車が一時間に一本しかこなかったりと人口減少の影響がでてきています。何も対策をしなければ、八尾だけでなく他の地域でも人口減少の影響が出てくると思います。少しでも人口減少を防ぐために、富山市の魅力を発信し、一人でも多くの人に富山市へ足を運んでもらうことが大切だと私は考えました。一度、富山市へ足を運んでもらい「楽しい」「また富山市に来たい」と思ってもらえれば観光客が増え、今よりもさらに活気のある富山市になると思います。また、魅力をいかに工夫して発信できるかが重要だと思います。 |
受賞者一覧に戻る
優秀賞
松川の桜にこめられた思い
富山市八尾中3年 岩脇 さくら |
---|
 |
富山市の見どころの一つに松川べりの桜があり、私は毎年楽しみにしています。この美しい景色は自然にできたのではありません。この景色は一度、戦争によって無くなったそうです。そこから、美しい景色を復活させるには、大きな困難と努力があったと思います。私はそれについて調べてみました。
一九四五年八月二日、米軍が富山に五十万発以上の焼夷弾を投下しました。この「富山大空襲」で町は炎に包まれ、市街地の九十九・五%が焼けたそうです。松川周辺が最も被害が大きく、多くの自然や人々、建物が犠牲となりました。空襲前、松川周辺にはその名前の由来となった松が多く植えられていました。しかし、その松も空襲によってほとんど焼けてなくなってしまいました。
富山大空襲から二週間後、終戦。富山は焼け野原で無残な光景が広がっていました。大切な人や家を失い、本当に苦しい状況だったと思います。しかし、人々はあきらめず、復興に向かって立ち上がりました。
翌月九月、復興部を新設、さらに復興審議会を設置しました。また、十二月には戦災復興都市計画街路を決定し、中心街路を県庁線とするなど、戦災復興を進めました。
そして一九五十年から一九五三年にかけて松川べりの復興が行われました。町のさらなる復興を願って、市民がソメイヨシノを相次いで植樹したそうです。一九九十年には「日本さくら名所百選」に選ばれるまでになりました。
このように私たちが今見ることができる松川べりの桜には、焼失から植樹できる状況になるまでの苦労と、富山の復興を願う人々の強い思いが込められていることがわかりました。生きていくのも大変な中で、松川べりの美しい景色復興までこぎつけたのは本当にすごいと思います。そんな景色をこれからもずっと守っていかなくてはならないと思いました。
そこで私は、美しい景色、自然を保ち続けるために自分にできることを考えてみました。まずはごみを拾うことです。それにより、景色がきれいになるし、自然破壊を防ぐことができると思います。しかし、一人の力では限界があります。だから、一番重要なことは、この富山復興の歴史を多くの人に知ってもらうことだと考えました。私自身、今回歴史を調べてみて、初めて松川べりの桜に込められた思いを知りました。そして、その景色を守り続けたいという思いが強くなりました。このように、歴史を知ることによって、「この景色は壊してはいけない大切なもの」という意識が芽生え、ポイ捨て現象、ごみ減少につながると思います。そしてみんなで景色や自然豊かな富山を守っていきたいです。 |
受賞者一覧に戻る